日本に教えたいベトナムのワークライフバランス

    日本人は勤勉な民族としての評判を構築しましたが、長時間労働は深刻な問題を引き起こしています。

    2015年に若い女性が会社からの圧力で長時間労働を強いられ自殺したという悲劇は、日本だけではなく世界中でニュースとなり、日本の働き方や労働者の心身を蝕むような倫理に対して疑問を呈する人が増えました。

    ひょっとすると、東南アジアの国から学ぶべきことがあるのではないでしょうか。

    「女性の両親を気の毒に思います。」と32歳のベトナム人は言いました。「しかし正直に言うと、なぜ彼女が自分で人生を終わらせてしまったのか、理解できません。」

    ベトナム人は労働時間に対して厳しく、毎日同じ時間に退社します。東南アジアで働く日本人には、現地の同僚が残業をしないことに対して不満を言う人もいます。しかし、多くの人は、ベトナム人はワークライフバランスをうまく保っていると言います。

    ベトナムの児童は毎日、昼食の後に昼寝をします。多くの事務員も同様で1時間半の昼休みのうち、仕事に戻る前の40分を昼寝に充てます。

    仕事量に関わらず、ベトナム人はいつも昼休みをきちんととります。残業があることは稀で、もし残業する場合は、その分の給料が支払われるかをしっかり確認します。

    それに対して日本は、終わりの見えない仕事を終わらせるために、昼休みを返上してデスクで昼食をとるのです。

    個人の短所や経験不足を補うために残業し残業代が支払われないという日本の文化に疑問の声もあります。

    国連の国際労働機関によると、ベトナム人女性は平均で26週間の産休と育休を取ります。これは東南アジアのどの国と比べても2倍の長さとなっています。

    ベトナムの多くの国有事業は社内に託児所があります。国が後援している織物製造業のGarment 10は、工場の隣に330人の子供を収容できる施設があります。労働者1人につき月1,200,000ドン($52.67)で利用することができ、お迎えが遅くなっても延長料はかかりません。

    ベトナムにガラスの天井がないわけではないですが、日本で母親が働く環境は恥ずべきとも言えます。

    ベトナムの経済規模は、1人当りの所得を見ても日本と比べるとかなり小さいですが、健全な職場を作り上げる上で、ベトナムから学ぶべきことはたくさんあるのです。

    ベトナムで働きやすい会社

    ベトナムで働くにあたって、ユニリーバが1番だと言われたことがあります。これは年1回リスト化されていて、他の海外企業も多く掲載されています。

    Anphabeとニールセンが行った2016年の「働きやすい企業」調査では、大手乳製品製造会社のビナミルクが2位となり、4年連続のチャンピオンにはなれませんでした。

    続いて、ネスレ、マイクロソフト、IBMとなっています。海外の企業がトップ20のうち15社となっています。

    今年の調査では、異なる24のセクターで働く26,128人の労働者から回答を得ることができました。ランキングは給料、ボーナス、福祉、ワークライフバランスによって評価されています。

    例年通り、ベトナムの中小企業が労働環境を整備しているにも関わらず、調査は大企業に好意的な回答が多くなっています。

    ベトナムの求職者と労働者はより良い福利厚生と企業文化に注目し、企業に対して望むものも増えています。

    HSBCによると、ベトナムが移住者にとってキャリアを構築する上でワークライフバランスと利益が多いということから、上位にランクインする企業が増えてきたと言います。

    ロンドンに拠点を置くExpat Explorerの調査は、2016年3月から5月にかけて、100以上の国の26,871人の移住者に対して、キャリア、個人的な財政状況、経済、文化、滞在国の生活水準の満足度についてアンケートを行いました。

    ホーチミン市に愛を

    ベトナム・ホーチミン市に到着してすぐ、家族には辛い思いをさせてしまいました。これは難しいことではありません。8月の終わり、32度近い気温で湿度も高かったです。私たちはレストランでランチをするためにひたすら歩いていました。

    最初、私の妻のジーンと娘のサシャ(7歳半)とサンディ(もうすぐ4歳)はやる気満々でした。Airbnbで借りた部屋は、空調設備があるタイルの床とレンガの壁のベッドルームが2つあり、黄土色のアートが施されたディストリクト1にある建物で、とても穏やかなところです。屋外カフェの低いプラスチックの椅子が長い何もない壁際にあり、日よけの木は電線のかせを超えていました。賑やかな大通りに出ると、私たちは互いに手を繋ぎ、バイクが私たちの周りで突然道を逸れることがないと願いながら、勇気を持って道路に足を踏み入れました。(実際に彼らは急に進路を変えたのです!)

    すぐに日差しが強くなり、マーケット通りを歩いている間ずっと汗をかいていました。荒く舗装された道路は埃っぽくじめじめしていて、買い物客の賑わいと小さなトラックで混雑していました。果物や野菜、魚や豚肉の熟れた匂いはそれらの色をより鮮やかにしています。行動、騒音、香り、ドラマの全てがにエネルギーが渦巻いているようでした。

    子供がぐずり、抱っこしました。誰も「まだ着かないの?」と聞きませんでした。ついに、気が遠くなるような15分後、蛍光灯がチカチカとしているChi Tuyenというレストランに到着しました。青いプラスチックの椅子と軽い金属で作られたテーブルに案内され、ブンティットヌン(豚の炭火焼肉とレタスやミントなどのハーブがのった冷たい麺)を注文しました。子供達は落ち着き、サンディはレストランにいた子猫と遊び始めました。外は雨が降り出し、どんどん強まりました。私たちは追い込まれましたが、どこへも行きたくないと思ってしまいました。
    20年前、私はここへ移住しました。ベトナムとアメリカは国交が正常化したばかりで、私は大学を卒業したての若者でした。時が経ち、私は人々がサイゴンと呼ぶ街が好きになりました。そこは道が入り組んでいて、様々な食事が楽しめ、人々の熱意であふれていました。今までの旅で、本当に気に入った場所はベトナムだけです。
    しかし、1997年から何度もベトナムを訪れているにもかかわらず、家族を連れてきたことは一度もありませんでした。ジーンの家族は台湾に住んでいて、アジア旅行は台湾へ行くことを優先してきたからです。2016年の夏、長期間台北へ行き、あまりにも長い期間だったので、私は1週間ベトナムへ旅行することにしました。はじめにホーチミン市を訪れ、その後ニャチャンの近くのリゾートで2日間過ごしました。そこは家族にとって、私を作り上げた場所を理解するには十分な場所でした。それでも私は、私が最も愛する家族は、私が最も愛している国を愛してくれるのだろうか?と心配していました。

    この質問にノーと言えるでしょうか。全てが心の底から楽しいのです。私たちのビルの入り口があるところからすぐのところにレストランがあり、毎朝トレーで朝食のボー・フエ(牛と豚の辛いスープの麺)やバインミー(目玉焼きとバゲット)を運んでくれるのです。隣のカフェでは、自家製豆をローストし、コンデンスミルクが入ったベトナムのアイスコーヒーを頼み、トゥレジュールという韓国のチェーン店で子供達のためにパン菓子を買いました。それを居心地のいい小さなアパートで食べ、満足しながら「まるで昔に戻ったみたいだ」とため息をつきました。でも今は、この気持ちを共有する家族がいるのです。

    それから、長い間妻に会わせたかった友人に会いに行きました。Quynh Anh Phamという痩せた優雅なビデオプロデューサーで、QAとして知られています。彼女は転職し、今はホーチミン市の有名な花屋の店主です。彼女の店とカフェ「パドマーデフラー」はまだ開発中の路地にあり、中庭はモカラ、青やパステルピンクで塗られた水やりの缶、古びた金属で作られたランプで覆われています。QAが私の子供たちに出してくれたレモネードには、薄い色のバラが添えられており、ここにもサンディが一緒に遊べる子猫がいました。これがクラシックなサイゴンです。カジュアルな客がなかなか出会えない洗練された美しさのオアシスです。

    パドマーデフラーのような場所は、市の風景の変化を見たときに、とても貴重に感じました。日本の百貨店である高島屋がサイゴンの中心地にオープンし、120年前に建てられたオペラハウスや騒がしいベンタイン市場の近くにあるのです。

    その百貨店には世界の高級ブランドがぎっしり詰まっていて、日本のフードコートもあります。それは私に1996年を思い起こさせました。1996年にもモールはありましたが、たった1つ、サイゴン・スーパーボールが空港の近くにあるだけでした。人々は恐る恐るベトナム唯一のエスカレーターに乗ったものです。現在では、高島屋にもエスカレーターはありますが、4インチの高いヒールを履いた女性以外、誰も怖がる人はいません。百貨店はとてもノーマルで、サンディが走り去って10分間迷子になっても動揺しませんでした。ここはもはや、誘拐を心配するような荒れた街ではないのです。

    どこを歩いても、昔のベトナムと比べてしまい、残念なこともありました。例えば、ベンタイン市場の前の通りは広く、太陽がよく見えるいい景色でしたが、再開発で夜にこっそり貝類のレストランになるガレージを含む古い建物が壊されてしまいました。

    しかし、サーシャは受け入れました。「私はベトナムのこの部分が好き。」と彼女は多久市0の外を見つめながら言いました。「こっちの方が洗練されている感じがする。ナイスで清潔感があって、見た目もいいわ。他の部分は…。」

    彼女は語尾を濁し、私にはその理由がわかりました。ベトナムは私の家族にはヒットしませんでした。暑さに耐えられないのです。(彼らはアジアの夏に何を期待していたのでしょう?)彼らは土屋カオス、虫が好きではありません。子供達は暇だと文句を言います。(まるで家にいるかのように。)ジーンは「東南アジアは家族向けではないわ。」と言いました。

    私はそれにどう対応すれば良いのか、大体わかっていました。何十年も東南アジアで暮らす外国人家族を見てきて、自分の家族も連れて来たいと思ったのです。一方で、ニューヨークのように、ホーチミン市は観光客のためではなく、活気のある現地の人々のために存在しているということも理解していました。この都市はよそ者のことは気にせず、そこだけで盛り上がることで必死なのです。

    その盛り上がりが私にはぴったりでした。どんなに暑い日でも、シントーという冷たいフルーツ(オレンジ、マンゴー、バナナ、トゲバンレイシ、アボカド)のシェイクはバックパッカーの多い路地から、チョロンのマーケット街、チャイナタウンなどどこでも売っています。タクシーやウーバーを使い、バイクには乗りません。古着屋のメイヘムで服を探し、サーシャのための大きなフラッタースリーブの服や、ジーンのお花のドレスを見つけることができます。どれほどこの市が発展したのか、私には想像もできませんでした。20年前、古着は貧しい人のためのものだったのに、今はそれらを手にするのにクレジットカードが必要なのです。

    もう一人の友人、ベトナム系アメリカ人のアーティストであるTrong Gia Nguyenがダウンタウンのギャラリーへ連れて行ってくれました。2003年にオープンしたGalerie Quynhで、Trongのある作品に釘付けになりました。レーザーカットのブリーズソレイユ、ベトナムでよく見られる日よけのパターンが窓のサイズに切ってあったのです。Diaプロジェクトで、ジーンと私は“Fruits, Children & the Cutting(フルーツ、子供達とカッティング)”という、Mai Hoangの不穏で魅力的な水彩画作品に酔いしれました。子供がドラゴンフルーツ、パッションフルーツ、いちごとして描かれており、切ったり剥いたりしてあるのです。サーシャは作品の前で座り込み、ノートを開いて集中して描いていました。サンディはTrongの友人のAthesiaと遊んでいました。彼女たちはアナと雪の女王の話をしていたそうです。

    時折、彼女たちは自分たちで楽しみを見つけていました。ウーバーでチョロンを通っている時、ジーンが、20世紀初めの3軒のお店を指さしました。それらはとても古いものでしたが、チャーミングでもありました。

    「これは映画「愛人」が撮影されたところですか?」と彼女は興奮気味に聞きました。その映画は1992年に公開されたマルグリット・デュラス原作の作品です。彼女がそのように熱狂できるものを見つけられるのなら、私の実験は成功と言えるのではないでしょうか。愛は問題にならないかもしれませんが、私はその他を受け入れます。

    代わりに、私には感情の交錯がありました。グリルした豚肉と酸味のある魚のスープを古くからの友人たちと味わい、歩道にはゴキブリが’います。Humというスタイリッシュなベジタリアンレストランでマルティーニを飲むことは中毒になりそうですが、入国するときにスタンプを押した厳しい移民局の職員のことを忘れることはできませんでした。(ジーン曰く、「彼は私たちに会うことを嬉しく思っていないようだった」とのことです。)植民地時代の小屋をホグワーツ城のように改装したSomewhereland-Madam Fatty Fattという奇妙な名前の店で、子供達は手作り教室に参加しフェルトを切って帽子にしたり、マントを作って魔女に変身したりと、満足しているようでした。(その間、ジーンと私はアイスコーヒーを飲んでいました。)しかし、これはサーシャには冷たすぎたようです。「若いうちは、座ってのんびりなんてしたくない。」と彼女は言います。「動きたいでしょう!」

    ビーチへ移動する前日に、昔のベトコンの基地が地下にあるクチトンネルへ行くためにバンを予約しました。そこまではホーチミン市から90分ほどかかりますが、主要な観光地となっています。ついに子供達は歩き回ったり登ったりすることができました。私が爆弾の衝撃でできたクレーターの池を指差し、戦争について説明している間、敵の兵隊を捕まえるための野蛮な罠に目を向けていました。そしてもちろん、メートル級の高さのあるトンネルにも登りました。それはすべての子どもたちの夢でありますが、アメリカ人の汗の川を描くものでもありました。

    私たちが出発した後、サンディ(トンネルの中でもしっかり立つことのできるくらいの身長)は「夜ご飯を食べすぎてるから、みんなトンネルの中で立てないのよ。」と説明しました。

    サーシャは簡潔に、「この場所は素晴らしいわ!」と言っていました。

    私はあることに気がつき、心が温まりました。私の子供たちは…観光客で、彼女たちはここを気に入ったようです。彼女らは楽しいことが好きで、休暇中です。私は何を期待したのでしょう?ある日、ひょっとしたら簡単な楽しさには興味がなくなり、ベトナムがどのように父を父にしたかについて知りたくなる時が来るかもしれませんが、それは今日でなくてもいいのです。明日私たちは綺麗なビーチのリゾートへ行き、ブルックリンの私たちのアパートの2倍はあるプール付きのビラ(1日500ドル)に滞在するのです。いつの日か、確実にホーチミン市に戻って来るでしょう。それは来年ではないかもしれませんが、いつの日か、です。そして過去のベトナムとその時の最新のベトナムを比べ、思いを馳せるのです。

    ジーンはベトナムの再訪について1つの条件をつけました。
    「次回はより素敵なところにステイしたいわ。」と彼女は言いました。

    女性や女の子を暴力から守るための様々な取り組み

    先月、ハノイのベトナム人女性が外国人の元交際相手に襲撃されガソリンをかけられて火をつけられるという事件がありました。女性は重症で、その火傷は命に関わると伝えられています。この衝撃的なニュースは問題の普遍性の思い起こさせました。それは、性に基づく暴力には安全な場所がないということです。世界中で起こっている#MeTooの動きは、性虐待や暴力の横行を強調しています。

    このケースは極端な例かもしれませんが、女性に対する暴力があまりにもありふれているということを再確認するきっかけとなりました。2010年の国の調査では、既婚女性の3人に2人が今までに暴力を受けたことがあると言います。被害者のうちおおよそ50%が暴力を受けたことを内緒にしており、87%は公共サービスに助けを求めたことがないそうです。さらに、最近の小規模調査では、ベトナムで横行している女性に対する暴力が様々な形になっていて、若者の交際関係でも起きているようです。

    このような暴力は性の不公平性、区別、有害な文化的・社会的規範に深く根付いていて、女性平等の大きな壁の一つとなっています。上記のケースは、被害者、家族、コミュニティにひどい傷を残しました。根本的な力の差を認識することは、暴力を終わらせるためには重要なのです。要するに、性に基づく暴力は避けられないものではなく、私たちはどんな暴力も我慢してはならないのです。

    ベトナムや多くの国々は、実施は難しいにも関わらず、女性や女子への暴力に関する法律を定めています。暴力から逃れてきた人のためのサービスがあっても、実際に被害者が必要としているサービスを提供できているところは稀です。「レイプの裁判:タイとベトナムの性暴力に対する刑事司法制度を理解する(原題: Trial of Rape: Understanding the criminal justice system response to sexual violence in Thailand and Viet Nam)」や「女性の司法認識の研究:暴力を受けた女性による刑事裁判の利用について(原題: Women’s Justice Perception Study: Access to criminal justice by women subjected to violence)」などの国連の最近の研究には、被害者たちが守られてると感じたり、司法の判断によって矯正されているとは感じないようです。

    これらのギャップに対し、ベトナムの国連は、世界共通のプログラムである暴力を受けた女性と女子のためのエッセンシャル・サービスを、ベトナム政府とともに昨年の11月に新たなプログラムとして着手しました。このプログラムは全体論や暴力被害者の権利を守るための多面的なメカニズムの発展、安全性を最優先させるための技術的な補助を導入しました。また、利用者目線で、健康、司法、警察の質と平等を見直し、社会授業を発展させました。同時に、加害者に対する司法の判断をより明確なものにし、女性や女子への暴力があってはならないというメッセージを強く持った判断になってきています。

    良いニュースは、女性に対する暴力への必要なサービスはそこまでコストがかからないということです。一方で、2013年の国連ウィメンによる研究によると、女性への暴力の結果、全体的な生産性の低下や支出と失われた所得の合計はベトナムのGDPの3.2%にもなると言われています。

    国連ウィメンとUNFPAはベトナムと協力し、女性に対する暴力を一切なくすための法と条例の整備に取り組んでいます。どの暴力事件も、あまりに多い事件の1つなのです。どの事件も、より多くの対応が必要であるということを思い知らせてくれます。持続可能な開発のための2030アジェンダに則して、私たちは誰も暴力の恐怖にさらされていない世界の実現に向けて努力しなければならないのです。

    ベトナム人女性が外国人男性と出会う時:複雑な事情

    ある文化では普通のことが、別の文化では浮気とみなされることがあります。

    過去数十年ではあり得なかったことですが、ベトナムの恋愛事情は「見知らぬ人」を受け入れるようになってきました。

    私の友人でオーストラリア人のブラッドは独身で、ベトナム語を学ぶためにベトナムへ来ました。彼はベトナム人女性と付き合っていました。

    彼の元彼女は海外のベトナム人です。彼女は美しく賢い女性でしたが、彼が「真面目すぎる」という理由でブラッドと別れました。

    彼はDungという女性と付き合い、彼女はブラッドが定住する気があるかどうかを尋ねました。その後ブラッドは彼女とはもう会わないことにしました。彼女の質問が不適切であると感じたからです。

    彼はその後Hanhと付き合いました。彼女は何も聞きませんでした。彼女は携帯電話で遊ぶのに夢中だったのです。

    ブラッドが運が良かったのかどうか、私にはわかりません。ベトナムでは女性を4つの儒教的価値で評価します。仕事、話術、見た目、貞操です。

    私はその後Trangという女性を紹介しました。

    ベトナムで約1年を過ごした後、ブラッドは今までに出会ったベトナム人女性は2つのタイプに分類できると言いました。1つは、彼が永遠に愛すると約束すれば、カフェでのみデートをする女性です。2つ目は、100ドル払えば一緒に寝てくれる女性です。

    ひょっとしたら彼はブイビエンを放浪するバックパッカーだったのかもしれません。でもどんな女性も私の友人を馬鹿にすることは許されません。

    ブラッドの問題はマイナーです。ベトナムの問題もあるのです。

    ベトナム人女性が外国人男性と付き合うことは、もはや珍しくありません。流行になっています。

    歌手や女優が外国人男性と結婚し、可愛いハーフの子供を産むことは、オンラインで多くの注目を集めています。テレビ番組ではベトナム語を話す外国人の夫が紹介され、彼の若くて美しい妻は人気者です。ベトナム人と外国人カップルが手を繋いで歩けば注目の的です。

    司法省のデータによると、より多くのベトナム人、特に女性がここ数年外国人と結婚しています。

    グローバル化は国境を越えた社交の場を広げてきました。国際結婚はアジアで新たなトレンドとなり、ベトナムでは「外国人男性と結婚する」というのがよく知られたフレーズになりました。

    しかし、流行は廃れます。外国人男性を辱めるようなゴシップやニュースもあるのです。

    ソーシャルメディアにはたくさんの非公開グループがあり、外国人男性に振られたベトナム人女性が集まり「彼らの嘘を暴く」ために集まっています。一方で外国人男性がベトナム人女性と付き合ったことを後悔するようなグループもあります。

    そこに集まる多くのベトナム人女性と外国人男性が、浮気されたと言っています。

    ベトナム人女性が外国人男性の最悪な部分として挙げるのが、彼らが複数の女性と同時に付き合うという点です。時として男性と付き合うということは衝動なのです。さらに外国人男性の「罪」は、セックスに対して楽観的であるということです。ベトナム人女性が外国人と付き合う上で、男性が他にも付き合いのある女性がいるといことがわかり、浮気していると予測した時に問題は起きるのです。

    「浮気」の定義は、計算された愛の告白から、5つ星リゾートのロマンチックな時間の後の実質的な関係の終わりまで、多岐に渡ります。

    一方で外国人男性はお金について不満があるようです。私の国のある男性は、外国人と交際する女性の半数以上が金目当てか、オーストラリア国籍が欲しい人だと言います。しかも、国籍に関しては、女性自身と「いとこ」の分を欲しがりますが、その「いとこ」は女性の本当の彼氏なのです。

    昔は多くの人が同じ国の同じコミュニティの人と結婚してきましたが、現在では私たちの選択肢は制限がないのです。

    昔は交際は共通の文化水準によって進められてきましたが、現在ではそれは必要ないのです。

    もしあなたが英語を話し、インターネットの使い方がわかるなら、全く見知らぬ人と交際したり結婚したりすることはもはや不可能ではないのです。

    覚えておくべきことは、文化や考え方は、好みやファッション、技術のようにすぐには変わらないということです。そして、それぞれが太平洋のいたる所出身であることから、文化や考え方が合ったとしても違いがあるのです。これはベトナムに限ったことではなく、グローバル化の影響を受けたどの国でも起こりうることです。

    ベトナム人女性が外国人男性とロマンチックな関係を築いている一方で、がっかりするようなことも多くなっています。2年前、ハウザン省の教育当局は「多くのハーフの子供たちが家で喧嘩を見ています。」と言います。この省は、メコンデルタのように国際結婚でよく知られています。

    多くのベトナム人女性が外国人男性に騙されていることについては否定はしません。それは外国人男性が女性の罠に引っかかるのと同じだからです。

    私が言いたいのは、異文化間での誤解は、国際恋愛の複雑さを認識しない時に起こるということです。

    両者ともに自己否定の経験は少なからずあるでしょう。

    交際するというのは決して簡単なことではないのです。ベトナム人同士でも、外国人でも、幸せは両者が純粋にお互いのことをよく知るために時間をかけたときにやってきます。